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浦和地方裁判所 平成6年(ワ)1658号 判決 1998年7月17日

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告は、原告に対し、九七四七万一八八二円及びこれに対する平成三年五月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、被告の開業する医院に約二年間通院して糖尿病の治療を受けていた原告が、被告の行った治療に過誤があったために、糖尿病の合併症である糖尿病性網膜症が進行して矯正不可能なほど著しく視力が低下したと主張して、被告に対し、これにより生じた損害の賠償を求めている事案である。

二  前提事実(証拠により認定した事実については、認定に供した証拠を括弧内に表示した。)

1 当事者

原告は、昭和二〇年生まれの男性であり、昭和三八年から平成三年まで光学器具のメーカーであるコパル精密部品株式会社(当時の社名は株式会社コパル)に会社員として勤務していた。

また、被告は、上尾内科循環器科の名称で医院(以下「本件医院」という。)を開業している医師である。

原告は、昭和六三年六月二〇日から平成二年六月九日までの約二年間、糖尿病の治療のため本件医院に通院していた。

2 原告の糖尿病歴及び視力低下に至る経緯

(一) 昭和五四年当時、原告は東京都板橋区にある株式会社コパルの本社工場に勤務していたが、社内の健康診断で尿糖値が高いと指摘されたため、同区にある都立豊島病院で診察を受けたところ、担当の医師より糖尿病と診断され、食事療法及び運動療法の指導を受け、シンガポールの工場へ赴任をするまでの約一年間、同病院に通院した。

(二) 原告は、昭和五五年から、シンガポールの工場に約三年間単身で駐在していたが、この間、現地の病院に通院して、食事療法の指導を受けるなど治療を継続した。

(三) 原告は、昭和五八年に帰国し、再び本社工場で稼働するようになった。帰国後、しばらくしてから原告は、糖尿病治療のため、自宅(上尾市内)の近くの医院に通院するようになり、医師の指導の下で食事療法や運動療法を続けた。その結果、社内の健康診断では、尿糖値はプラスマイナス程度でおさまるようになり、原告は、一年間位で通院を中止してしまった。

(四) 昭和六二年ころ、原告は、その職場が福島県郡山市に移転したことに伴い、週日は職場近くの社員寮で生活し、土日曜のみ上尾市内の自宅に帰るという単身赴任を始めた。

(《証拠略》)

(五) 昭和六三年春、原告は、社内の健康診断の結果、尿に糖が出ていると指摘されたので、改めて糖尿病治療のための通院を思い立ったが、週日生活する社員寮は交通の便が悪く通院が難しいことから、自宅に帰った折に通院しようと考え、上尾市保険センターから原告宅に最寄りの本件医院の紹介を受け、同年六月二〇日に被告診察を受けた。そして、以後基本的に週末に郡山市から自宅へ帰った際、本件医院へ通院して被告の治療を受けることになった(《証拠略》)。

(六) 本件医院に二回目の通院をした昭和六三年六月二二日、原告は、被告より、インシュリン非依存型の糖尿病との診断を受けた上、経口血糖降下剤オイグルコン一錠(一日の分量。以下同じ。)の投与を受けたが、原告にとってはこれが今までで初めて服用する糖尿病治療薬であった(《証拠略》)。

その後、初診時から約二ヶ月後の同年八月一五日には、その投与量が二錠に増量され、さらにその約一ヶ月後の同年九月一七日からは三錠に増量された。

(七) 原告は、初診時から約一年経過した平成元年六月三日、本件医院で眼底検査を受けた。なお、本件医院で原告が受けた眼底検査は、これが唯一のものであった。

(八) その後、原告は、平成二年五月初旬ころに目がかすむ症状が出始めたため(《証拠略》)、同月一二日、被告に対しその旨訴えた。被告は、それ以前に原告から眼に関する主訴がなかったので、眼科に診てもらった方がよい旨告げ、原告は、同月一八日に西上尾上林眼科(上林眼科医院。以下「上林眼科」という。)を訪れた。なお、これ以前に原告が被告より眼科医への受診を勧められたことはなかった。

そして上林茂医師(以下「上林」という。)の診察を受けたところ、同日の視力測定の結果は右目が〇・〇三(裸眼。以下同じ。)、左目が〇・〇一(共に矯正不能)で、白内障及び糖尿病性網膜症(スコット分類で[2]ないし[3])と診断され(《証拠略》)、埼玉医科大学総合医療センター(以下「埼玉医大センター」という。)の河井克仁医師(以下「河井」という。)を紹介された(《証拠略》)。原告は、被告にも河井に対する紹介状を書いてもらった上、同日埼玉医大センターを訪れた。

(九) 埼玉医大センターでは、前同月一九日に眼科で視力測定が行われ、その結果は、右目が〇・〇四、左目が〇・〇二(左目のみ矯正不能)であった。そして、同年六月二日より網膜光凝固療法が開始され、その結果、同日には右目が〇・〇六、左目が〇・〇三に、同年一二月一五日には、右目が〇・〇八、左目が〇・〇七にまで視力が回復した。

また、これと併行して、同年六月一六日から糖尿病をコントロールするため内科での診療も受け、同年七月三〇日から同年九月一日まで入院し、インシュリン自己注射の教育を受けたり、栄養士による栄養指導をしてもらうなどした。(《証拠略》)

(一〇) 原告は、視力を回復するため自治医科大学附属大宮医療センターで再度網膜光凝固療法を受け、さらに京都大学医学部附属病院眼科で高圧酸素治療及び神経ブロックによる治療等を受けたが、病状は改善されず、平成三年五月二八日の時点で、右目及び左目の視力がそれぞれ〇・〇六、〇・〇五に、平成六年六月一四日の時点では、〇・〇一、〇・〇二にまで低下し、身体障害者手帳の交付を受けるに至った(《証拠略》)。

(一一) 原告は、視力の低下により、従前通りの勤務が続けられなくなり、平成三年九月一日に休職処分となった後、平成五年二月に退職するに至った。

その後、鍼・灸・指圧・マッサージの資格を取得し、平成九年からはマッサージ師として医院に勤務している。

3 糖尿病及び糖尿病性網膜症並びにそれらの予防・治療法

(一) 糖尿病は、インシュリンの欠乏ないし作用不足のため、高血糖をはじめとする代謝異常がもたらされる疾患であり、インシュリンを作ることができないインシュリン依存型とインシュリンは作られるがその働きが十分でないインシュリン非依存型の二つの型に分けられるが、我が国では後者の患者が圧倒的に多いと報告されている。

糖尿病は、様々な合併症をもたらす場合があるが、糖尿病性網膜症はその一つで、高血糖の影響で、網膜中の毛細血管に血管瘤等の血管閉塞が生じたり、眼底出血を起こすものであって、放置すると網膜剥離や硝子体出血を起こして最終的には失明に至ることもある。

(二) インシュリン非依存型の糖尿病の治療は、血糖コントロールを行い、正常な範囲内に血糖値を保つことにより、糖尿病性網膜症を含めた合併症を予防することが、その治療目標である。そして、初期の治療の基本は食事療法と運動療法とであり、これらの療法だけで血糖値を正常化できないときは、薬物療法が併用されることになり、インシュリンの投与を考慮する。

ただし、インシュリンの投与は注射によってなされるので、患者に自己注射の訓練を施す必要があること、低血糖発作を招く危険や急激な血糖値の正常化により糖尿病性網膜症が増悪する危険があることから、経口薬により効果が認められない場合に導入されるのが通常である。

(三) 糖尿病性網膜症の症状程度については、デービス分類又は福田分類がよく使われるが、いずれも、その重症度を進行度合に応じて分類したものである。すなわち、デービス分類は、(1)単純性網膜症、(2)前増殖性網膜症、(3)増殖性網膜症の三段階に分ける方法で、世界的に最も普遍的に使われるものであり、これに対し福田分類は、もう少し緻密に重症度を表現しようとしたものであって、A(良性網膜症)とB(悪性網膜症)の各分類中でさらに各々五段階程度の分類を行う方法である。

また、その他の分類法として症状程度に応じて[1]ないし[4]の段階に分けるというスコット分類があるが、スコット分類の[1]a、[2]、[3]aは非増殖性又は単純性のものに、[3]bは前増殖性のものに、[4]以上は増殖性のものにあたるとされている。

(四) 糖尿病性網膜症が発症した場合、その治療法としては、光凝固療法(網膜の病変部にレーザー光線を当ててその部分を凝固させ、新生血管発生を阻止しようとするもの)が最も普及し、かつ有益な方法として知られているが、前増殖性のもの(スコット分類では[3]bの段階)が右療法の最適な時期であるとされている。また、単純性のもの(スコット分類では[1]a、[2]、[3]aの段階)であっても、黄斑浮腫がある場合には、やはり光凝固療法(局所的なもの)が有効な治療法となる。

(《証拠略》)

4 原告の本件医院通院中における血糖値等

(一) 糖尿病における血糖コントロールの状態を判断する指標としては、血糖値、グリコヘモグロビンA1ないしA1cの値、フルクトサミンの値が代表的なものとして挙げられている(《証拠略》)。

血糖値とは、血液中のブドウ糖の量を示したものであり、一日のうちでも変化の度合が大きい。そして、昭和六三年時の文献では、空腹時は一四〇未満、食後二時間は二〇〇未満がそれぞれコントロール良好とされている(乙一九。単位はmg/dl(以下同じ)。)。

これに対し、グリコヘモグロビンの値は、およそ一ないし二ヶ月間の血糖のコントロール状態を反映するものであり、一日のうち計測した時間により値が変化する性質のものではなく、食事による影響が少ない(《証拠略》)。そして、同じく昭和六三年時の文献では、A1では九未満、A1cでは七未満がコントロール良好とされている(乙一九。単位はいずれも%(以下同じ)。)。

また、フルクトサミンもグリコヘモグロビンと同様の性質のものであり、およそ一ないし二週間の血糖のコントロール状態を反映するものである(《証拠略》)。同じく昭和六三年時の文献では、三・五未満がコントロール良好とされている(乙一九。単位はmmol/l(以下同じ。)。

(二) 原告の本件医院通院中に被告が計測した原告の血糖値、グリコヘモグロビンA1c(又はA1)の値及びフルクトサミンの値は順に次のとおりであった(《証拠略》)。

検査年月日(年月日) 血糖値(mg/dl) グリコヘモグロビン(%) フルクトサミン(mmol/l)

S63・6・20 256 19・1(A1) 5・95

S63・7・2 259 - -

S63・7・30 305 15・2(A1) 5・3

S63・9・3 280 14・0 -

S63・10・22 272 - 3・2

H1・1・14 267 12・6 4・7

H1・4・22 285 12・5 4・8

H1・7・15 234 - 4・4

H1・10 14 175 8・7 3・4

H1・11・18 203 9・3 3・9

H2・1・27 243 - 4・0

H2・3・10 205 10・7 4・4

この点について、当時被告が設定した目標値(正常値)は、血糖値が一一〇(空腹時)、グリコヘモグロビンA1cが七・五以下、フルクトサミンが四・二以下であった(《証拠略》)。

5 原告の埼玉医大センター入通院中における血糖値等

原告の埼玉医大センター入通院中に同センターが計測した血糖値、グリコヘモグロビンA1、同A1cの値は順に次のとおりであった(《証拠略》)。

検査年月日(年月日) 血糖値(mg/dl) グリコヘモグロビンA1(%) 同A1c(%)

H2・6・26 197 14・8 12・0

H2・9・14 217 12・8 10・2

H2・10・20 241 12・5 10・0

H2・11・17 202 12・5 10・1

H2・12・15 186 10・6 8・5

三  争点

1 被告の過失の有無

(一) 血糖コントロール上の注意義務違反があったかどうか(糖尿病の治療を漫然とオイグルコンの投与のみに頼ったといえるかどうか)。

(二) 糖尿病性網膜症の発症・進行を阻止するための注意義務(早期診断又は眼科医受診指導)違反があったかどうか。

2 因果関係の有無

3 原告の被った損害

四  争点に関する当事者の主張

(原告の主張)

1 被告の過失の有無

(一) 血糖コントロール上の注意義務違反について

糖尿病の目標は、合併症の予防できる範囲の血糖コントロールを目指すことにある。しかし、原告が本件医院で糖尿病の治療を受けていた約二年間を通して、血糖コントロールは不良であった。そしてその原因は、被告の原告に対する糖尿病治療につき以下のような注意義務違反があったためである。

(1) 適切かつ十分な食事療法及び運動療法の指導の懈怠並びに漫然とした薬物投与

糖尿病治療においては、食事療法及び運動療法により血糖コントロールを行うのが基本であり、これらを十分に行っても血糖値の低下が見られない場合に初めて薬物療法が施行されるべきである。

しかしながら、被告は、原告に対し、食事療法及び運動療法に関する具体的な指導は何も行わず、市販の書籍を購入して勉強するようにと述べただけであり、二回目の診療時から、早くもオイグルコンの投与を開始し、その後も右薬剤を漫然と増量することによって血糖値を降下させようとしただけであり、血糖コントロールを右薬剤のみに頼って行おうとしていた。これでは血糖コントロールが功を奏しないことは明らかである。

(2) インシュリン療法施行の懈怠

原告のようなインシュリン非依存型の糖尿病の場合には、まず、右(1)で述べたように適切かつ十分な食事療法及び運動療法を行い、その後もなお高血糖が持続する場合にはオイグルコンを使用し、経過を見てもなお高血糖が是正されない場合には、インシュリン療法の採用を検討するという手順を採るべきであるが、本件において、もし食事療法及び運動療法並びにオイグルコンの増量服用にもかかわらず血糖コントロールが不良のままであったというのであれば、その時点でインシュリン療法を検討し、適切な時期にこれを採用すべきであった。

しかしながら、被告は、オイグルコンを三錠に増量した昭和六三年九月一七日以降も血糖コントロール不良の状態の続いている原告に対し、インシュリン療法を採用しなかったばかりか、検討さえもしなかった。

(二) 糖尿病性網膜症発症・進行の阻止に関する注意義務違反について

糖尿病性網膜症は、発症しても単純性や前増殖性の段階では自覚症状は全くなく、新生血管が出る増殖性の段階でも出血が起こらない限り自覚症状は現われず、自覚症状が現われてから治療を行うのでは既に手遅れである。よって、糖尿病の患者に対しては、適切な時期に眼底検査を行い、糖尿病性網膜症を早期に発見し、時期を失せずに光凝固療法等を行って病変を軽減させ、進行を防ぐことが不可欠であるのであるから、糖尿病治療を標榜する内科医としては、前述のとおり合併症の発症を予防するために血糖コントロールを行うのみならず、合併症の発症を早期に発見して適切な治療(専門医への受診指導を含む。)を行うべき注意義務があることは明らかである。しかるに被告には以下の注意義務違反があった。

(1) 初診時における眼底検査の懈怠

原告は、初診時の問診に際し、被告に対し、五年前より糖尿病の治療を受けていた旨述べていた以上、初診時には既に糖尿病性網膜症が発症していた可能性があり、被告はその可能性に気づくことができたのであるから、被告が、原告の初診時に眼底検査を行わなかったことは、糖尿病の診療に携わる内科医としては、明らかに注意義務違反があるというべきである。

(2) 糖尿病性網膜症確認後の眼底検査実施及び眼科医受診指導の懈怠

眼底検査の回数については、初診時の眼底検査において糖尿病性網膜症が認められない場合は、年一回の経過観察をもって足りるとされているが、初診時に糖尿病性網膜症を認めた場合には、発症時期が不明なこともあり、その程度や罹病期間、血糖コントロールの状況により、光凝固療法の時期を逸しないよう眼底検査は二ヶ月から六ヶ月ごとを目安に実施しなければならないとされている。

この点について本件では、初診時に眼底検査がなされておらず、初診時に原告に糖尿病性網膜症が発症していたか否かは明らかでないのみならず、被告は、原告の初診時から約一年後の平成元年六月三日には眼底検査により原告が同症に罹患しているとの診断を行っているところ、被告は、糖尿病罹患時期が二年未満の場合には合併症が発症することはないとの認識であったのであるから、原告が初診時より一年以上前から糖尿病に罹患していたと認識すべきであった。

したがって、仮に右眼底検査の結果が糖尿病性網膜症のうち単純性のものであっとしても、右平成元年六月三日の時点でその発症から既に相当期間が経過していることを疑い、同症のうち次の時期(前増殖性)に移行する時期を把握すべく、その後速やかに自ら眼底検査を実施するか、眼科医への受診を指導すべき注意義務があった。

それにもかかわらず、被告は、右眼底検査からさらに約一年経過した平成二年五月一二日に原告から「目がかすむ」と訴えられるまで、眼底検査はおろか、眼科医への受診指導さえも行わなかった。

(三) 糖尿病性網膜症の増悪化、回復不能の視力低下に対する責任について

糖尿病性網膜症等の合併症については、糖尿病に罹患した場合であっても、適切な治療がなされるならば、右合併症が発症することはなく、また、発症したとしても進行を食い止め、治癒させることも可能である。

しかるに、原告は、平成二年五月一八日に上林眼科にて診察を受けた際には、既に視力が右目〇・〇三、左目〇・〇一にまで著しく低下しており、上林は、右時点で原告の網膜症がもはや血糖コントロールにより眼底の変化を経過観察するという段階ではなく、眼科的治療、それも光凝固療法による治療の必要があると診断し、直ちにその治療の可能な埼玉医大センターの河井を原告に紹介し、原告は、翌日同センターを訪れ、六月には河井による光凝固治療を受けたものの、視力回復には到底及ばなかった。そしてその後、自治医科大学附属大宮医療センターや京都大学医学部附属病院においてもできる限りの治療を受けたが、結局、視力は右目が〇・〇一、左目が〇・〇二にまで低下し、矯正不可能と診断されるに至った。

このように、原告に生じた糖尿病性網膜症の増悪化による著しい視力低下は、上林眼科において診察を受けた時点で既に顕著に見られ、その後の各病院における治療によっても視力を回復させるに至っていないことは明らかである。すなわち、上林眼科における診察時点において、既に同症のうち増殖性のものに至っていた可能性が濃厚であり(そもそも上林や河井が原告における糖尿病性網膜症進行の程度を判断するために用いたスコット分類は、同症の軽症から重症に至る経過を表現するには矛盾するところがあり、少なくとも眼科医の間では現在ほとんど使われていないのであり、その病期を示す分類としては適当ではない。)、本件では光凝固療法の時期を逸したものといわざるを得ない。

以上、右結果は糖尿病治療における血糖コントロールの不良によりもたらされたものであるというべきであるが、また、被告が原告の初診時に眼底検査を行わず、また、遅くとも糖尿病性網膜症と診断した平成元年六月三日以降速やかに眼科医への受診指導等を行わなかったことにより、原告において同症の増悪化をくい止める機会を失い著しく視力が低下しそれが回復不能となったものであることは明らかであるから、いずれにしても被告が右結果より生じた原告の損害の責任を負うべきことは当然である。

2 因果関係の有無

この点に関する被告の主張はすべて争う。

3 原告の被った損害

原告が被った損害は次の総額九七四七万一八八二円である。

(一) 入院雑費 合計一三万九二〇〇円

(以下はすべて一日当たり一二〇〇円である。)

(1) 埼玉医大センター

(三四日分として)四万〇八〇〇円

(2) 自治医科大学附属大宮医療センター

(一八日分として)二万一六〇〇円

(3) 京都大学医学部附属病院眼科

(六四日分として)七万六八〇〇円

(二) 休業損害(未填補分)

四一七万二七七〇円

原告は、糖尿病性網膜症による著しい視力低下のため、平成三年から休職し、以来平成五年一月までの間は健康保険組合から傷害手当金合計金五〇三万二八八二円を受領しているが、その間勤務先から得られたはずの給与等は合計金九二〇万五六五二円(平成元年分の給与総収入五八一万四〇九六円を基に算出)であり、右傷害手当金の合計額との差額四一七万二七七〇円を休業損害として考えるべきである。

(三) 逸失利益 六六六五万九九一二円

原告は、平成六年六月の時点での後遺障害として、糖尿病性網膜症による著しい視力低下が見られ(右目〇・〇一、左目〇・〇二)、これは自動車損害賠償保障法施行令第二条の後遺障害等級表の等級によれば第四級一号に該当し、その労働能力喪失率は一〇〇分の九二である。

よって、労働能力喪失期間二〇年、原告の平成元年分の給与総収入が五八一万四〇九六円であることを考慮して、ライプニッツ方式により計算すれば、六六六五万九九一二円(5,814,096×12.4622×0.92)の得べかりし賃金を失ったことになる。

(四) 慰謝料 合計一八五〇万円

(1) 傷害分 四〇〇万円

原告の精神的苦痛ははかり難いが、これまでの入通院期間(通院四年間、入院四ヶ月)等を勘案してそれを金銭に見積もれば、四〇〇万円が相当である。

(2) 後遺障害分 一四五〇万円

原告は、それまでは眼鏡を必要としなかったにもかかわらず、最終的には両眼の視力とも〇・〇一程度にまで低下し、身体障害者等級表二級の認定を受けるに至っており、右視力の低下は矯正不可能で早晩失明に至る可能性が高く、このような後遺障害分の慰謝料としては少なくとも一四五〇万円が相当である。

(五) 弁護士費用 八〇〇万円

本件訴訟の難易その他諸般の事情に照らし、本件において相当因果関係のある弁護士費用相当の損害は八〇〇万円というべきである。

(被告の主張)

1 被告の過失の有無

(一) 血糖コントロール上の注意義務違反について

血糖コントロールに関する原告の主張のうち、二回目の診療時からオイグルコンの投与を開始したことや結局はインシュリンの注射を実施しなかったことは確かであるが、本件ではそれらにはそれ相応の理由があり、その他の事実は基本的に真実とは異なる。

(1) まず運動療法及び食事療法についてであるが、被告は、原告の診察当初から、原告に対し、糖尿病の治療には食事療法が重要であること、そしてそのためには医師の力だけではなく、最終的には本人の改善努力が不可欠であることを話すとともに、食事の回数、量、種類等につき、具体的な指導を行っている。そもそもこのような食事指導は、原告だけでなく他の糖尿病患者に対しても行っていることであり、原告だけが右指導を受けていないということはあり得ない。

運動療法の指導についても、「適度の運動をするように」等の単純なものではなく、「朝夕三〇分以上の歩行運動で一日一万歩以上の運動をするように」と具体的に指示していたのである。

糖尿病は、自分との闘いなのであって、薬物療法のみで糖尿病のすべてを治療できるものではないのである。

(2) 次にインシュリン療法についてであるが、被告は原告に対し、オイグルコンを二錠から三錠に増量した昭和六三年九月一七日に食事指導及び運動指導をした際、右指導を守らないとインシュリン注射を行うことになる旨の話をし、原告に対し自分自身が努力しなければ糖尿病を治すことはできないことを説明した。

さらに被告は、原告が指示通りの食事療法及び運動療法を履行しておらず、十分な改善が見られなかったので、平成元年に原告に対しインシュリン注射を行いたいので協力して欲しいと右注射への同意を求めたところ、原告は右注射だけは絶対にやりたくないと言い被告の申入れを強く拒んだので、被告は原告に対し、インシュリン注射が嫌ならば、その分食事療法及び運動療法をしっかりやらなければならないと話し、従来の対応を改めるよう求めたのに対し、原告も被告の右要求を受け入れ、食事療法及び運動療法を必ず実行する旨の意思を示してきたので、被告は、原告の要望により、インシュリン注射をことさらに行うことはしなかったのである。

そもそも、原告のようなインシュリン非依存型の糖尿病の場合には、基本はあくまでも食事療法及び運動療法の実践であり、インシュリンの注射に安易に頼ることはかえって問題である。特に原告のように食事療法及び運動療法を十分に実践しない患者が右各療法を実践しないままインシュリン注射に移行することは、糖尿病を慢性化させることになるし、低血糖症等をもたらす危険性もあるので、その使用を強要することを抑えたのである。

但し、原告が一〇年にもわたる糖尿病歴を有していること及びその間医師による治療を受けていたことを被告に正直に話していれば、被告としても、より強くインシュリン注射の実施を求めたことは考えられるが、原告は右のような事情を隠し糖尿病歴を偽っていたため、被告はインシュリン注射を強要するところまではいかなかったのである。

(二) 糖尿病性網膜症の発症・進行の阻止に関する注意義務違反について

眼底検査の実施回数については、網膜症の進行程度によって異なるが、軽症の単純性網膜症の場合は、当時は年に一回ないし二回でよいとされていたことから、平成元年における眼底検査により、原告における網膜症が右と同程度と判断した被告は、早急な眼科的治療の必要性はないものとして、年一回の眼底検査を行う予定を立てたのであり、右処置に誤りはない。

もっとも、もし仮に原告が被告に対して発症後一〇年近くの糖尿病歴を有していることを正直に告げていれば、眼底検査の回数をさらに増やすこともしたであろうが、原告は自らの糖尿病歴を偽っていたため、被告は眼底検査の回数を増やすことは考えなかったのであって、その点の責任を被告に求めることはできない。

また、原告は、光凝固療法の時期を逸したと主張するが、そもそも、原告が埼玉医大センターに転院したときは、光凝固療法の適期であったのである。後述のとおり同療法が適期であっても十分効果を発揮しないことがあることからすれば、原告の視力低下があるからといって同療法の適期でなかったとはいえないのである。

2 因果関係の有無

糖尿病性網膜症が発症した原因(発生機序)は、原告の糖尿病そのものに基因する。そして、糖尿病の発症自体については被告の責任はない以上、その合併症としての糖尿病性網膜症の発症に被告の責任がないことは明らかである。すなわち、糖尿病性網膜症は、糖尿病の合併症としてある確率で不可避的に発症するもので、現代医学でも発症そのものを防止する方法はないのであり、食事療法、運動療法、薬剤療法等の糖尿病治療が適切に実践されていたとしても、糖尿病性網膜症の発症の可能性を下げることはできても、これを完全に防ぐことはできないのである。

特に本件では、原告の糖尿病歴は、光凝固治療を受けるまでに約一一年であったのであり、その間、原告は、医師の治療を中断したり、単身赴任の生活を繰り返したりし、適切な食事療法や運動療法を実践してきたとも言い難いのであって、原告における合併症の発症は、糖尿病の長年の積み重ねによるものであるというべきなのである。

また、光凝固療法は、適期であっても十分効果を発揮しない場合も約一割の割合で存在することからすれば、本件では原告の視力低下と光凝固療法実施の時期とを関連づけることはできない。

3 原告の被った損害

被告は、原告の主張する損害自体についてはもとより、それについて被告が賠償責任を負うこともすべて争う。

第三  当裁判所の判断

一  原告は、矯正不可能な程度までに原告の視力が低下したのは、被告が漫然とオイグルコンを投与することだけで原告の糖尿病を治療しようとしたために高血糖状態が持続し(血糖コントロールの不良)、これにより原告が合併症たる糖尿病性網膜症に発症する原因を作り、かつ同症の発症・進行を阻止するための配慮(早期診断・眼科医への受診指導)も十分に行わなかったためである旨主張し、被告の原告に対する治療方法・態度を問題としているので、以下においては、原告の本件医院通院中ないしその前後の具体的な治療状況や症状の経過を確定し、それらを前提に前記争点につき検討することとする。

二  原告の本件医院通院中ないしその前後の具体的治療状況等

前提事実及び《証拠略》を総合すれば、次の各事実が認められ(る。)《証拠判断略》

1 原告は、昭和五四年ころ、都立豊島病院において糖尿病と診断され、食事療法による治療を受けることになり、その手始めとして、その妻とともに、同病院の栄養士から栄養指導を受けた。その際、栄養士は、原告及びその妻に具体的なサンプル等を記載した資料を配付し、糖尿病治療における食事療法の要点について説明を行った。また、都立豊島病院の医師は、原告の一日のカロリー摂取量を一八〇〇キロカロリーと指示し、原告は、右の指示や栄養士の指導に従い、さらには自ら日本糖尿病学会編「食品交換表」を購入して食事療法の知識を身につけ、これを実践した。なお、このころ、原告の体重は約六一キログラムであったが、治療期間中、目立った体重の増減はなかった。

2 昭和五五年ころ、原告は、シンガポールに単身赴任することになったが、勤務先である株式会社コパルでは、原告が糖尿病患者であることを配慮し、現地の病院と連携をとって、原告が糖尿病の治療を続けることができる体制を整えた。そして、原告も、都立豊島病院の医師の紹介状を持参して、勤務先の会社があらかじめ手配した現地の病院での診察を受け、約三年の赴任期間中、右病院の指導の下で食事療法を続けた。その結果、帰国後の健康診断では、尿糖値の異常を指摘されることはなく、体重は約五七キログラムに減っていた。

3 原告は、帰国後、上尾市内の医院に通院するようになり、医師から食事療法だけではなく運動療法も行うように指導され、この指導に従って、通勤を利用して毎日約四ないし五キロメートルの距離を軽いジョギングで往復するなどの運動を行った。また、食事の面では、一日のカロリー摂取量を一六〇〇キロカロリーと指示されたため、これを実施すべく、市販の糖尿病治療用食品計量器を購入し、毎食ごとに計量して摂取したり、昼食も弁当を持参するなど注意を払った。これらの治療の結果、原告の体重は約五四キログラムに減少し、尿糖はプラスマイナス程度に落ち着くようになった。原告はこれに気を許し、約一年間程度で通院しなくなってしまった。

4 しかし、原告はその後社内健診で尿に糖が出ていると言われたため、昭和六三年六月二〇日、本件医院を初めて訪れたが、その際、被告は、原告に対し、問診をして、まず自覚症状の有無を尋ねたところ、原告は身体がだるいとか目がかすむ等の自覚症状は全くない旨の返答をした。次にいつから糖尿病になっているのか及び従前どのような治療を行ってきたのか等を尋ねたところ、原告は、一旦は、五年前に糖尿病と言われたことがある旨を述べたが、被告がさらにその経過を詳しく尋ねると、前言を翻して会社の社内健診において今春初めて尿糖がプラスであるといわれたものであって、今までに糖尿病と診断されたことは一度もないと返答した。原告は、被告の問診に際して、そのころ単身赴任生活をしていたことは話さなかった。そこで、被告は、原告が糖尿病であるかどうかを診断するために、血液検査一般に加え、七五グラム糖負荷テストを行うこととした。

その諸検査の結果は同月二二日に判明し、被告は、この結果から原告が糖尿病であるとの診断を行った。

5 また、被告は、右時点での血液検査ではグリコヘモグロビンA1の値が極めて高い数字(一九・一)を示したので、原告において、今までの糖尿病治療のための薬物療法を中止したことにより慢性のものが急成長したか、新たに急性の糖尿病が発症したかのいずれかを原因として、代謝異常のため急性の糖尿病が起こり、早急に血糖をコントロールしなければ血糖値がさらに上昇し、浸透圧が上がると糖尿病性昏酔になる危険性があると判断し、その治療法として、食事療法及び投薬によって安全な値まで血糖値を下げる必要があると考えた。なお、被告は、原告の血糖値がかなり高かったため、原告に糖尿病の治療歴があるのではないかとも疑い、改めて原告に対し糖尿病歴について尋ねたが、原告は、糖尿病の治療歴はないとの返答を繰り返した。

6 被告は、原告に対する問診の結果等から、原告の糖尿病罹患期間は一年未満で、今回初めて糖尿病の治療を受けるものであると判断し、同日より経口血糖降下剤であるオイグルコン一錠の投与を開始することとするとともに、原告に対し、まず糖尿病はどういう病気かについて詳しく説明し、同時に、治療方法として、糖尿病においては食事療法及び運動療法が非常に大切であり、まずは食事療法を始める旨説明した。その具体的な内容として、被告は、日本糖尿病学会編「食品交換表」を原告に示し、カロリーや食品のバランス、一日当たりのカロリー数(原告の場合は、一六〇〇キロカロリーと設定した。)等について幾つかの写真を見せながら具体的に説明した上で、「食品交換表」(定価三〇〇円)を書店で購入するように勧めた。

しかし、原告が要らない旨答えるので、被告は、次善の策として自己の作成した「主な食品の目安」というカロリー一覧表を原告に渡して、一つ一つ具体的な献立とカロリーについて説明し、総カロリーを一六〇〇キロカロリーに止めることを指示した。しかし、原告は、その被告の指示に対しても、仕事が忙しいしお腹もすくのでそんなことはいちいちできない等と消極的な姿勢を示した。

被告は、そのような原告に対し、食事療法の実をあげるため実際の食事内容を書き出して欲しいと言って用紙を渡したり、栄養士による栄養指導を勧めたりしたが、原告は、いずれも消極的で、これを実践しようとしなかった。そこで、被告は、最後の妥協点として、食事療法を簡便に行えるように食事の注意点を簡略にまとめた書面を渡した上で、その内容を説明した。

7 被告は、前記のとおりまずは食事療法と投薬により原告における初診時の著名な高血糖の状態を解消させようとしたため、運動療法については、三回目(昭和六三年六月二五日)ないし四回目(同年七月二日)の診療の時から、原告に、一日三〇分ずつ二回(できれば朝と夕方の一回ずつ)の計一時間の早足走行を行うことを勧め、ジョギング等を特にしなくても汗ばむ程度の早足走行を行えば十分効果があるとの話をした。これに対し、原告からははっきりとした返事はなく、後日、被告が原告に対し、早足走行を実践しているか尋ねたところ、原告は仕事が忙しいし、土日は疲れているのでできない旨返答した。そこで、被告がさらに運動療法の実施を強く指示したところ、原告も相当量の運動を実践するようになり、一時期は血液検査のうちフルクトサミンの値がかなり改善したが、それも長くは続かなかった。

8 被告は、原告の食事・運動療法の実践状況が芳しくなく、その効果を待っている余裕がないと判断し、血糖コントロールのためオイグルコンを二錠、さらには三錠と増やしていった。

オイグルコンは、臨床的には二錠が最大量と考えられていたため、被告は、原告に対し、オイグルコンの投与量を三錠に増量する際、これが効かなくなった場合にはインシュリンを使うしかないと示唆した。これに対し、原告は、インシュリンは考えただけで頭が痛くなるのでやりたくないとして、インシュリン療法に対し明確な拒否反応を示した。

その後も、被告は、グリコヘモグロビンA1cの値が上がる等して血糖コントロールが不十分であると感じた折、原告に対しインシュリンについて話をし、また、一週間ほど入院して合併症の有無をチェックし、問題がなければインシュリンの使用を実際に開始してその単位を決定し、その間医師と看護婦により糖尿病について実際の患者の問題点は何かをじかに実感させたりする教育入院についても説明をしたが、原告が拒否反応を示したため、強く説得することまではしなかった。

9 被告は、初診時から二、三ヶ月後、原告の高血糖が初診時よりもある程度落ち着いたころ、眼底検査を勧めたことがあったが、原告は忙しくて時間がないとしてこれを断った。

しかし、被告は、眼底検査は年一回はしなければならないと考えていたため、初診から約一年後の平成元年六月三日には、原告を説得して眼底検査を自ら行った。その結果、眼底に点状の硬性白斑を少し含む点状出血が認められたため、被告は、単純性網膜症(福田分類ではA1、デービス分類では単純性網膜症の軽症のもの)と診断した。

被告は、前記診断結果を踏まえ、原告に対し、糖尿病による網膜症は軽い程度のものであると説明するとともに、物が正常に見えるかどうか質問し、食事・運動療法をもっときちんと行わなければならない旨告げたが、被告は、原告の糖尿病性網膜症の程度はまだ軽度のものであると判断していたため、眼科医へ紹介することまではしなかった。

また、被告は、それまで糖尿病の罹病期間が二年未満であれば、血糖値がどんなに高くても糖尿病性網膜症が発症することはないと認識していたため、原告の糖尿病歴に疑念を抱き、改めて原告に対し糖尿病歴を尋ねたが、原告は以前と同様糖尿病歴はないとの返答を繰り返した。

10 被告は、平成二年五月一二日に原告から目がかすむとの症状の訴えがあったため、上林に原告を紹介し、それを受けて、原告は、上林眼科を訪れた。

上林は、原告の眼底検査を行い、糖尿病性網膜症の程度はスコット分類の[2]ないし[3]の段階にあると診断し、原告にこのまま放置すると手遅れになりかねないと光凝固療法による治療を勧めた。

そして、上林は、原告を診療した同月一八日、埼玉医大センターの河井に原告を紹介し、同センターの眼科の担当医も原告に対し眼底検査を行い、上林の診断とほぼ同様に、スコット分類の[3]aの段階にあると診断した。

11 原告は、その後、埼玉医大センターに入院し、栄養士による食事指導を受けたが、指導を実施した栄養士は、「患者(原告)は、食事療法の必要性を認めているが、実践で実行に移すことはできていない。現在までの食事内容は独学にて自分で良い食事と思い続けていたという。偏った食事内容である。」と評価した。

原告は、同センターの医師がインシュリン療法について説明したところ、当初は「インシュリンを使うと思うだけで血圧が上がる。注射はあまりしたくない。」等と消極的な反応を示したが、重ねて医師がその必要性について説明するとインシュリンを使うことを承諾し、その後は自己注射の練習をするなど積極的に取り組むようになった。

しかし、原告の病状は結果的には改善されることはなく、視力低下のため身体障害者手帳の交付を受けるに至ったことは前記したとおりである。

三  争点1(一)(血糖コントロール上の注意義務違反の有無)について

原告は、被告が原告に対して具体的な食事療法及び運動療法の指導を何ら行わず、ただ、二回目の診療から血糖降下剤であるオイグルコンを投与したが、これを増量して投与した後も相変わらず血糖コントロールが芳しくなかったにも関わらず、インシュリン療法の検討すら行わず、結局糖尿病の治療をオイグルコンのみに頼っていたことにより血糖コントロールを誤らせ、合併症を発症させる原因を作った過失がある旨主張する。

1 しかし、二項で認定した事実によれば、被告は、原告に対し、当初の段階から、糖尿病治療においては食事・運動療法が最も重要であることを告げた上、カロリー摂取量を一日一六〇〇キロカロリーと指定してこれを守るよう指導したり、運動の内容や量を助言するなどして相当具体的に説明・指導していたのであって、その説明・指導が不十分なものであったとは認められない。

そもそも、原告は、本件医院に通院する以前から食事・運動療法については複数の医師から具体的な内容等を教わっているのであって、原告自身も食品交換表を用いて学習したり、計量器を購入して用いるなどしていたことや通勤を利用してジョギングをするなど運動療法も一定期間は実践していたことが認められ、これらによれば、原告は、過去の知識経験に照らして食事療法や運動療法を実施することができたものと考えられ、実際、原告は、本人尋問に際しても、比較的詳細な食事療法の内容を供述し、食事療法については少なからず正確な知識があることが窺われ、原告が本社工場に勤務していたころの同僚の陳述書にも、「(原告は)私くしなどよりもそうとう、1単位事の食品など理解して、私く(し)に教えてくれました。」との記載があるほどである。

2 もっとも、原告は、被告の説明・指導が奏功せず、糖尿病性網膜症を発症させているので、結果的にみれば、原告が本件医院に通院中、実行していた食事療法や運動療法が十分なものではなかったことは否定できないが、前記したところによれば、その原因は、原告自身が自らの病状を軽視し、熱心に各療法に取り組まなかったことにあると推認するほかはない。もとより、これらの療法は、医師が患者に強いることができるものではなく、医師としては、患者に対して必要な知識を与えた上、患者自らが実行するよう促すしかないのであって、このような観点からしても、被告の原告に対する食事療法や運動療法の説明・指導の内容が十分なものであったとの前記判断は妨げられず、結果的にこれが実行されなかったことについて被告が責任を負ういわれはない。

3 右認定に反して、原告は、被告は、漫然と血糖降下剤を投与しただけで、食事療法や運動療法についての具体的指導を怠ったと主張し、原告本人の供述中にはこれに沿う部分が存するが、原告の右供述を採用することはできない。

4 次に、インシュリン療法の点であるが、二項で認定した事実によれば、被告は、血糖降下剤の投与によっても高血糖が改善されなかったことから、インシュリン療法の導入を検討し、原告に説明したが、原告が消極的な姿勢を示し続けてきたため、被告としてもそれ以上勧めることまではしなかったものと認められる。

そして、インシュリン療法には、糖尿病を慢性化させ、糖尿病体質をそのまま維持させてしまうという問題があるのみならず、食事・運動療法が不十分なまま実施すると低血糖症等を発症させ、場合によっては生命に関わることもあり得るものであるから、糖尿病治療方法の中では抑制的に用いられるべきものであるところ、二項で認定したとおり、被告が原告に対し運動療法の実践を強く勧めたのに対して、検査値が改善傾向を示したことがあったこと等に照らすと、運動療法を徹底すれば相応の効果を発揮するとも期待でき、被告が原告の意向を尊重してインシュリン療法の導入を見合わせていたことをもって、不適切な対応であったと断ずることはできず、本件においては、インシュリン療法への切替えを原告の意向を無視してまでも行うべきであったと認めることはできない。

5 以上、本件においては、いずれの点においても、被告に血糖コントロール上の注意義務違反があったと認めることはできない。

四  争点1(二)(糖尿病性網膜症に関する注意義務の有無)について

被告が、原告の初診時に眼底検査を実施せず、その後約二年の通院の間に右検査を行ったのは初診から約一年後の一回のみで、原告から症状の訴えがあるまで眼科医への受診も勧めたことがなかったことは前提事実記載のとおりである。

1 まず、被告が初診時に眼底検査を実施せず、その約一年後に眼底検査を行ったことが被告の過失となるかを検討する。

一般に糖尿病の合併症発症の確率と糖尿病の罹患年数との間には相関関係があると認められるので(《証拠略》には、血糖コントロールが不良の患者は糖尿病罹患後五ないし一〇年の間に目に異常が出てくる旨記載されている。)、糖尿病歴の短い患者には合併症発症の危険が少ないと考えられるところ、本件では、二項で認定のとおり、原告は、被告の問診に対して、当初、五年前から糖尿病であったと言ったが、すぐに前言を翻し、社内健診は毎年受けているが、今回の健診で初めて糖尿病の指摘を受けたものであって、過去に糖尿病治療歴はなかった旨の返答を繰り返したため、被告は、原告の糖尿病歴は、原告の言うとおり一年未満であると考えていたことが認められる。もっとも、原告の血糖値の推移等からすれば、原告の言を疑う余地もないわけではなかったと思われるが、被告が述べるとおり、実際の糖尿病歴については患者の言うことを信じるしかないというのも一面の真理であって、被告が原告の言を信じたこと自体を責めることはできず、初診時に眼底検査を実施しなかったことについて、これを被告の落ち度とまでいうことはできない。これに反する甲三一号証は、原告の糖尿病歴を正確に把握していたことを前提とするものであるから、本件においては、その前提を欠き、採用することはできない。

そして、糖尿病が発覚したときに、糖尿病性網膜症の発症・進行の状態を把握するため望ましいとされている眼底検査の回数は少なくとも一年に一回であること、二項で認定のとおり、被告は初診から約三ヶ月後に原告に眼底検査を勧めたが、結局は原告に断られて一度断念していることに照らすと、被告が行った最初の眼底検査の時期が初診から一年後となったことをもって遅きに失したとまでは言えない。

また、眼科医への受診指導についても、本件においては原告から症状の訴えがあるまでそれを行わなかったことが問題になるともいい難い。

この点について、原告は、初診時に五年前に糖尿病であると診断されたと述べた後、その前言を翻したことはなく、本件医院に通院する以前の糖尿病治療歴を話さなかったのは被告からその旨の質問がなかったためである、と供述するが、本件訴状では、事案の経過として、「原告は、昭和六三年春、勤務先の健康診断の結果、尿に糖が出ているとの指摘され」たのが原告の糖尿病歴の始まりである旨の記載が存すること、また、本件訴訟提起に先立って原告が申し立てた医療紛争審査での病歴・就労状況申立書にも同様の記載が存することもあわせ考えると、原告の右供述を採用することはできない。

また、原告は、原告が昭和六三年春に初めて尿糖を指摘されたと被告に述べ、それ以前の病歴を説明しなかった理由について、糖尿病の治療を受けた後、勤務先の健診で尿糖の異常を指摘されることがなくなり、病気により勤務を休むこともなかったので、そのような表現になったまでである、と供述するが、埼玉医大センターで診療を受けた際には、問診に対して「約10年前健診時尿糖を指摘され近医受診。」等と答えていることに照らすと、原告が自らの糖尿病歴をほぼ正確に認識していたことは明らかであって、被告に対してこれを意識的に述べなかったと判断せざるを得ず、被告の右供述をもって、右判断を覆すことはできない。

2 次に、被告が眼底検査により原告において糖尿病性網膜症(単純性のもの)に発症していると診断してから、その後一年弱の間眼底検査を実施せず、眼科医への受診指導も行わなかったことが被告の過失となるかを検討する。

被告は、少なくとも当時の医学レベルでは、軽症の単純性網膜症(福田分類でA1の段階)の場合は、眼底検査は年に一回で十分であったと考えられており、被告も同様の意見であったため、これに従った旨主張し、これと同趣旨の文献も複数存在する。

しかし、原告のように食事・運動療法について指導してもその遵守状況が芳しくなく、血糖コントロールが十分ではなかった者についても、眼底検査は年に一回で足りるというには疑問がないわけではなく、さらに被告自身糖尿病罹患後二年未満は糖尿病性網膜症が発症することはないとの認識であったにも関わらず、原告の初診から約一年後にはその発症を認めていることからしても、原告が長期罹患患者であることを疑い、眼底検査の頻度をより高める等すべきではなかったかといえなくもない。そして、平成五年時の文献ではあるが、《証拠略》には、「眼底検査を行う間隔は、網膜症の程度、糖尿病罹病期間、血糖コントロール状態などにより、その後の網膜症のリスクが異なるためまちまちである」と記載されていて、血糖のコントロール状態や糖尿病罹病期間も眼底検査の頻度を考える上での一要因とされている。

しかし、少なくとも本件当時の文献には眼底検査の頻度は血糖コントロール状態や糖尿病罹病期間により左右されるとの区別は明確にはなされておらず、また、二項で認定したとおり、原告は、眼底検査の結果を受けて、再び原告に対し糖尿病歴を尋ねたが、原告の返答は糖尿病治療歴はないというものであったことに照らすと、右返答をも疑って原告の診療に臨むことを被告に求めるのは妥当でなく、被告が原告に対して年一回の眼底検査でよいと考えて診療にあたり、特に眼科医への受診指導も行わなかったことが直ちに問題であったと言い切ることはできない。

3 そもそも、糖尿病性網膜症のうち単純性のものについては、眼科としての積極的な治療は必要なく、経過観察をしていれば足りるとの記載がなされている文献もあり、要は光凝固療法の適期である前増殖性の段階を見逃さないことが求められているといえるところ、二項で認定したとおり、被告が上林眼科や埼玉医大センターを訪れたときは、スコット[3]aの段階であり、これは光凝固療法の適期であったと考えられる。

原告は、スコット分類による病期の診断は、同分類が糖尿病性網膜症の軽症から重症に至る経過を表現するには矛盾するところがあり、少なくとも眼科医の間では現在ほとんど使われていないことを理由として、右時点における原告の糖尿病性網膜症の病期に疑念を挟むが、スコット分類の[3]aの段階における症状と単純性網膜症における症状とを比較してみれば、少なくともスコット[3]aの段階が光凝固療法の適期であると考えることに特段問題はないというべきである。

そして、前提事実のとおり本件では、原告は、埼玉医大センターにおいても相変わらず血糖コントロールが十分ではなかったにも関わらず、光凝固療法により幾らか視力が回復しているところ、同療法の適期であってもそれが必ずしもすべての患者に効果があるわけではないことも併せ考えれば、本件において原告の視力低下について、被告の原告に対する診療に落ち度があったと認めることはできない。

4 したがって、被告に糖尿病性網膜症に対する配慮が欠けたことを内容とした原告主張の過失も認めることができない。

五  以上によれば、原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六七条一項本文、六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 滝沢孝臣 裁判官 坪井祐子 裁判官 西森英司)

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